ポップカルチャーの歴史を振り返ると、デウス・エクス・マキナ的結末を迎え、激しい賛否両論を巻き起こした作品は枚挙にいとまがありません。SNSや匿名掲示板、レビューサイトにおける数万件規模の反応を検証すると、視聴者の評価は単に「嫌い」という一言では片付けられない複雑なグラデーションを描いています。
典型的な失敗例として語り継がれるのが、某大ヒットロボットアニメや少年漫画の終盤で見られた展開です。主人公勢力と敵勢力の双方が理念と生存を賭けて泥沼の戦争を繰り広げ、誰もが納得できる落としどころが見つからない極限状態において、「突如出現した未知の古代兵器が一瞬で地球全土を浄化し、争いそのものがリセットされる」というラストが描かれました。放送直後のSNSでは「これまでの血と涙は何だったのか」「登場人物全員がピエロにされた」といった辛辣な批判が殺到し、星1レビューが全体の約70%を占める事態へと発展しました。
一方で、意図的にこの技法を批評的に用いて大絶賛されたケースも存在します。例えば、巨匠スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』における「モノリス」や、ガイナックス制作のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』、さらにはその完結編である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』におけるメタフィクション的な決着です。
庵野秀明監督が劇中で見せた演出は、従来のプロット的な伏線回収を超越し、虚構そのものを解体するアプローチを取りました。これに対し、従来の物語論に固執する層からは「作家による暴力的な投げっぱなし」「デウス・エクス・マキナそのもの」という批判が出たものの、作家の内面的な成長やドキュメンタリー性を共有していた熱狂的ファンからは「これ以上ない美しい救済」「必然の幕引き」として圧倒的な支持を獲得しました。
すなわち、「物語の破綻を隠すための無自覚な逃げ」として使われた場合は100%酷評されるのに対し、「人間には制御できない絶対的な不条理」や「虚構と現実の境界を問い直す哲学的意図」を持って周到に設計された場合は、歴史的名作として語り継がれるという明確な二極化が存在しているのです。