SNSや知恵袋などのQ&Aコミュニティでは、時に極端な言説が見られます。「『裡』は常用漢字表にない旧漢字の残骸だから、すべて『裏』で代用するのが正しい現代日本語だ」という意見です。しかし、この主張は半分正しく、半分は大きな誤解をはらんでいます。
大手新聞社の校閲担当者や日本新聞協会の用語指針を検証すると、一般読者向けの新聞紙面や地上波テレビのテロップにおいて「裡」が使用されないのは事実です。共同通信社『記者ハンドブック』などの現場マニュアルでは、読者に不要な読解ストレスを与えないため、常用漢字外の文字は「仮名書き」にするルールが徹底されています。つまり、新聞基準では「暗黙の裡」ではなく「暗黙のうち」と平仮名にするのが正解であり、「暗黙の裏」と漢字を置き換えることを推奨しているわけではありません。
むしろ、「暗黙の裏」と表記してしまうと、「裏取引」「裏口入学」といったダーティーな裏面工作のニュアンスが混入し、本来の「静かな阿吽の呼吸」という美意識が損なわれてしまうリスクがあります。
公的文書や日常のライトなビジネスチャットにおいては「〜のうちに」と平仮名を選ぶのが現代の実務上最も安全ですが、式辞の挨拶文、追悼文、格式ある広報誌、自著の手記などで「裡」を選択することは、言葉の陰影を重んじる成熟した書き手ならではの正当な表現技術です。「裏で代用できる」のではなく、「平仮名で逃げるか、格式を求めてあえて裡を配するか」というのが、言語学的な真の選択基準なのです。