事件の幕開けは1997年2月でした。神戸市須磨区において、小学生の女児2名が相次いで襲撃され、1名が重傷を負う事案が発生します。さらに同年3月には小学4年生の女児が金槌で殴打されて命を奪われ、別の女児も重傷を負いました。
そして同年5月27日早朝、地元中学校の正門前で、行方不明となっていた小学6年生の男児の頭部が発見されるという戦慄の事態に発展します。遺体の口には「酒鬼薔薇聖斗」と記された挑戦状が挟まれており、その異様な光景は教育界・法曹界・メディアをはじめとする日本社会全体に底知れぬ衝撃を与えました。
さらに6月には、神戸新聞社宛てに2通目となる長文の犯行声明文が届きます。「ボクを駆り立てるのは復讐心だけ」「透明な存在であるボクを認めてほしい」といった独特の文体で警察の捜査をあざ笑う文面は、犯人像について「大人の知能犯」という誤ったプロファイリングを生む要因にもなりました。しかし6月28日、警察が逮捕したのは、地元に暮らす当時14歳の中学生・少年Aだったのです。