メラニア夫人(旧姓:メラニア・クナウス/Melanija Knavs)の物語は、1970年4月26日、旧ユーゴスラビアを構成していた現在のスロベニア南部にある小さな工業都市・セヴニツァ(Novo Mesto生まれ、セヴニツァ育ち)から始まります。当時の東欧は鉄のカーテンの向こう側にあり、華やかな西側のハイファッションとは無縁の世界でした。しかし、彼女の家庭環境にはすでに美への感性が息づいていました。
家族構成は、国営自動車ディーラーなどで営業マネジメントを務めていた厳格で野心的な父ヴィクトル、子供服メーカーのパターンナーとして卓越した洋服デザインの技術を持っていた母アマーリヤ、そして1歳年上の姉イネスの4人家族です(のちに父の以前の交際相手との間に異母兄がいることが判明していますが、幼少期に直接の交流はありませんでした)。母アマーリヤは幼いメラニアとイネスに自作のおしゃれな服を着せ、立ち居振る舞いや身だしなみへの美意識を徹底的に教え込みました。この母の教育こそが、のちに世界を舞台に生き抜く強靭な審美眼の礎となったのです。
幼少期から地元で「並外れて手足が長く端正な顔立ちの美少女」として知られていたメラニアは、首都リュブリャナの高校へ進学し、デザインと写真を専攻します。学問への探究心も強く、リュブリャナ大学のデザイン・建築学部へ進学。のちに「大学卒業」をめぐる経歴記載の真偽が選挙戦で取り沙汰されましたが、公式記録や現地取材の証言によると、モデル活動の本格化に伴い大学を1年次で中退し、プロのキャリアを優先させたというのが正確な事実関係です。
転機が訪れたのは1987年、16歳の時でした。首都リュブリャナのフェスティバルホールの階段の前にいた彼女を、スロベニアの著名なファッション写真家スタネ・イエルコ(Stane Jerko)氏が偶然目撃したのです。イエルコ氏は当時の取材に対し「背が高く、細身で長い手足、そして何よりもアーモンド形の瞳の奥に、内に秘めた強い意志と静けさがあった」と証言しています。彼が撮影したモノクロのテストショットには、化粧っ気のない素朴で輝かしい美少女の姿が焼き付けられていました。この出会いを皮切りに、彼女は旧姓の綴りを国際的に通用しやすい「メラーニャ・クナウス(Melania Knauss)」へと改め、18歳でミラノのエージェンシーと契約。パリ、そしてやがて世界経済の首都ニューヨークへと活動拠点を移していきました。