定光寺地区の住民にとって、千歳楼の荒廃は単なる景観悪化にとどまらない「生命と財産を脅かす切迫した恐怖」でした。現場を取材してきた地元関係者や防犯ボランティアの証言からは、法治国家ゆえのジレンマが浮き彫りになります。
「夜中になると県外ナンバーの車や改造バイクが何台も集まり、奇声を上げてフェンスを乗り越えていく。一度火が出れば渓谷の強風にあおられて住宅地まで火の粉が飛んでくるのではないかと、サイレンが鳴るたびに生きた心地がしなかった」と、近隣住民は当時の緊迫感を吐露します。
日本における私有財産権の壁は厚く、所有者が特定できない、あるいは資力がない場合であっても、自治体が勝手に民間の建物を解体することは法律上極めて困難でした。しかし、平成27年に全面施行された「空家等対策の推進に関する特別措置法」の活用と、倒壊や火災の危険が切迫している「特定空家」としての厳密な手続きを踏むことで、春日井市は段階的な安全確保措置へと踏み切りました。
市民の税金を投入して民間の負債の後始末を行うことに対しては議会内でも激しい議論が交わされましたが、「地域全体の安全確保と住民の安心には代えられない」という強い決断が、長年膠着していた事態を前進させたのです。