かつて旧ソビエト連邦の英雄ワレリー・ブルメルが2.28mを跳び、1977年には東ドイツのローズマリー・アッカーマンが女子史上初の2.00mを突破、さらに1978年にウラジミール・ヤシチェンコが2.34mの世界記録を樹立するなど、ベリーロールは世界記録を量産した黄金期を誇っていました。
それにもかかわらず、なぜベリーロールは陸上競技の舞台から完全に淘汰されたのか。専門的な分析から浮き彫りになるのは、「用具進化に伴う安全性のパラダイムシフト」と「力学的エネルギー効率の決定的な差」という2つの不可逆的な要因です。
1960年代以前の陸上競技場には、現在のような柔らかく巨大なウレタンマットは存在せず、着地場所は「砂場(サンドピット)」や木くずを敷き詰めたピットでした。砂場に着地する場合、頭や首から落下する背面跳びは頚椎骨折や致命的事故に直結するため、手や足、肩から安全に着地できるベリーロールやはさみ跳びしか選択肢がなかったのです。
転換点となったのは、1968年メキシコシティ五輪です。アメリカのディック・フォスベリーが、新しく導入され始めた厚いクッションマットの安全性を逆手に取り、背中から落下する「背面跳び(フォスベリー・フロップ)」を披露して金メダルを獲得しました。
当時の報道や陸上関係者の手記には「異端のサーカス技」「危険な曲芸」と冷笑された記録が残っていますが、ウレタンマットの世界的普及とともに力学的優位性が立証されます。背面跳びは身体を弓なりに反らせることで、人体の重心点(Center of Mass)をバーの高さより低い位置に通しながら、身体各部を順番にバーの上に通過させることが可能です。同じジャンプ力・踏み切り筋力を持つ選手が跳んだ場合、物理計算上、背面跳びの方が数センチから十数センチ高いバーを越えられることが科学的に証明され、ベリーロールは急速に姿を消していきました。