この事件が半世紀以上を経た今も人々の胸を締め付ける最大の理由は、犠牲となった2年生の興梠盛男さんが、死の直前までテントの切れ端や手帳の白紙に鉛筆で書き残した緊迫の手記(通称・興梠メモ)の存在にあります。
7月26日の夕暮れ、逃走を続けるパーティーの殿を務めていたリーダーの竹末さんが、稜線上で突如襲いかかってきたヒグマの牙にかかり命を落としました。生き残った4名は散り散りになりながら逃走し、興梠さんは暗闇のなか、岩陰に身を隠して夜を明かしました。手記には、極限状態に置かれた人間の心理と、家族への思慕が震える筆跡で刻まれています。
公表されている手記の記録によると、7月27日早朝の記述には次のような言葉が並んでいます。
「前日夕方、竹末さんがやられた。テントの切れ端をかぶり、岩の間に潜む。風が強く寒い。早く助けに来てほしい」「午前4時、あたりが明るくなった。クマの足音が聞こえないか耳を澄ます。お母さん、本当にすみません。助かる見込みは五分五分だ」「午前7時、沢を下って逃げようか迷う。しかし外に出るのが怖い。クマがすぐそこにいるような気がする」。
最後は乱れた文字で「お母さん、お母さん」と家族の名を呼び、救援が来ない絶望のなかで途切れています。興梠さんはこの手記を書き終えた後、再び現れたヒグマに襲われ、22歳という若さで帰らぬ人となりました。捜索隊によって遺品の中から発見されたこの手紙は、野生生物の圧倒的な暴力と、孤立無援となった人間の悲哀を伝える一級の記録として語り継がれています。