一時期は全国で見られたウォンバットが、なぜここまで激減してしまったのか。その根本的な背景には、オーストラリア政府による野生動物保護政策の強化と、ウォンバット特有の繁殖難易度の高さという2つの構造的障壁が存在します。
ウォンバット国内飼育の経緯を紐解くと、大きな契機となったのは1990年、大阪府池田市とオーストラリア・タスマニア州ローンセストン市との姉妹都市提携25周年を記念して、五月山動物園に親善大使として贈呈されたことでした。当時は国際的な個体移動に対して一定の柔軟性があり、自治体間の友好関係を軸に来日が実現しました。
しかし、オーストラリア政府は自国の固有生態系を保護するため、1999年に「環境保護および生物多様性保全法(EPBC法)」を整備するなど、野生動物の国外輸出を事実上原則禁止としました。現在、学術研究や国際的な種の保存プログラムといった厳格な特例措置が認められない限り、オーストラリアから新たな個体を導入することは不可能な構造となっています。
さらにウォンバット激減の理由に拍車をかけたのが、飼育下での繁殖が極めて困難である点です。ウォンバットは愛らしい見た目とは裏腹に、極めて縄張り意識が強い完全な単独生活者です。発情期以外の時期に同居させると激しい流血の闘争に発展するため、ペアリングのタイミングは年に数回、わずか数時間の見極めに限られます。国内で繁殖に成功したのは1992年の五月山動物園(日本初の繁殖例、世界でも豪州外で2例目)など極めて稀なケースにとどまり、世代交代が進まないまま個体の高齢化が進んだことが激減の決定打となりました。