二・二六事件の本質を理解するうえで外せないのが、当時の日本を覆っていた深刻な社会不安と軍内部の思想的対立です。1929年の世界恐慌の余波を受けた「昭和恐慌」により、東北地方をはじめとする農村部は壊滅的な打撃を受けました。飢饉に見舞われた農家では欠食児童や娘の身売りが相次ぎ、民衆の生活は極限状態にありました。その農村から徴兵された兵卒たちを直接束ねていたのが、20代から30代前半の二・二六事件の青年将校たちです。
彼らは、私利私欲に走る政治家や特権階級である財閥、軍閥の元老たちが天皇の目を曇らせていると考え、「君側の奸(くんそくのかん=天皇の側近にいる悪人)」を排除し、天皇親政による国家改造(昭和維新)を実現することこそが民を救う唯一の道だと信じ込みました。この急進的な一派は「皇道派」と呼ばれ、対外膨張と合法的・計画的な総力戦体制構築を目指す「統制派」と激しく対立していました。
決起した将校たちは、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊などの下士官・兵1,483名を率いて一斉に行動を起こしました。しかし、彼らの描いた「天皇が自分たちの至誠を理解し、維新を承認してくれる」という願望は完全に打ち砕かれ、事件は反乱軍としての鎮圧と首謀者たちの非公開裁判・死刑執行という結末を迎えることになります。