宮田輝の晩年については、ネット上の一部で「政界引退後に不遇な生活を送っていたのではないか」「司会業を完全に捨てたのではないか」といった誤った認識が散見されます。しかし、一次資料を精査すると実態は大きく異なります。
政界入り後も続いた「語り手」としての探求
国会議員としての激務をこなしながらも、宮田は生涯「言葉の伝え手」であることを手放しませんでした。民間放送での番組出演だけでなく、全国各地での講演活動を精力的に行い、地方創生や高齢化社会のあり方について熱弁を振るい続けました。政治の場と民間の現場を行き来し続けた姿勢こそが、宮田のアイデンティティでした。
68歳での早すぎる別れと死因の真相
1990年(平成2年)7月15日、宮田輝は参議院議員の現職のまま、東京都内の病院で息を引き取りました。死因は肺がん、享年68でした。
亡くなる直前まで公務と執筆活動に意欲を見せており、病魔と闘いながらも周囲に弱音を吐くことはなかったといいます。訃報が流れた際、NHKをはじめとする各局は特番を組み、昭和のテレビ文化を創り上げた巨星の死を悼みました。日本列島がお茶の間を通じてひとつになっていた「あの時代」の象徴が世を去った瞬間でした。