近年、滋賀県教育委員会をはじめとする専門機関による考古学的発掘調査が進展したことで、歴史学界を揺るがす大きな事実が明らかになりました。長年信じられてきた「山上の寺院群がすべて灰になり、数千人が皆殺しにされた」というシナリオが、現場の地層データによって修正を迫られています。
比叡山の信仰の中心である東塔の比叡山延暦寺根本中堂の被害について、発掘調査では元亀2年当時の顕著な火災痕跡や焼土層がほとんど確認されませんでした。講堂や主要堂宇の周辺からも、全山が火の海に包まれたことを裏付ける熱変成の跡は見つかっていません。一方で、夥しい灰や炭化物が発見されたのは、山上の宗教ゾーンではなく、山麓の都市・坂本に広がる里坊や寺社屋敷の跡でした。
太田牛一の記した一代記『信長公記』には、「根本中堂、山王二十一社をはじめ悉く焼き払われ、数千の首を刎ねた」と劇的に描写されています。しかし、この記録は信長の圧倒的な武威と処断の厳格さを後世に誇示するための政治的プロパガンダ、すなわち信長公記の記述の誇張であった可能性が極めて濃厚です。当時の客観的データと近年の研究成果を比較すると、以下の明確な差異が浮き彫りになります。