なぜ「インド人を右に」生まれた?伝説の誤植ゲーメストの舞台裏と真相

なぜ「インド人を右に」生まれた?伝説の誤植ゲーメストの舞台裏と真相

なぜ「インド人を右に」生まれた?伝説の誤植ゲーメストの舞台裏と真相についての真相を徹底解説します。

「インド人を右に」は単発のアクシデントではなく、当時の発行元であった新声社の構造的な問題が生み出した必然的な産物でもありました。当時の読者の間では「ゲーメストの誤植は毎号のお約束」として親しまれるほど、同誌の誤植率は異様な高水準を誇っていたのです。

最大の要因は、1993年以降に踏み切った「月2回刊(毎月15日・30日発売)」への移行にありました。隔週ペースでの刊行は、月刊誌時代の倍の制作スピードを現場に要求します。しかし、攻略記事を執筆していたのは本職のベテラン編集者ではなく、ゲームセンターで超人的な腕前を誇るハイスコアラーや格闘ゲームのトッププレイヤーたちでした。

彼らは日中、新作基板の解析やハイスコア更新のためにゲームセンターへ通い詰め、締め切りの当日に編集部へ駆け込んでは、徹夜で原稿用紙に手書きで攻略法を殴り書きしていました。元編集長である石井ぜんじ氏をはじめとする関係者の証言によれば、締め切り直前の編集部は足の踏み場もないほど原稿や資料が散乱し、睡眠不足で朦朧としたスタッフが倒れ込む修羅場と化していたといいます。

本来であれば、入力されたゲラ(校正刷り)に対して厳密な校正作業を行う必要があります。しかし、印刷所の輪転機を止めるわけにはいかない極限状態の中で、「文章の意味が通っているか」を精査する時間的余裕は完全に消失していました。誤字や脱字を見つけるプロの校正者を介さず、疲弊しきった編集者が流し読みするだけで下版(印刷へのGOサイン)を出さざるを得ない制作体制の破綻こそが、誤植多発の元凶だったのです。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。