麻原彰晃の死去と最期の真相|死刑執行当日の記録と遺骨の現在地

麻原彰晃の死去と最期の真相|死刑執行当日の記録と遺骨の現在地

麻原彰晃の死去と最期の真相|死刑執行当日の記録と遺骨の現在地の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。

なぜ、一介の鍼灸師であった松本智津夫が、国家転覆を企図する無差別テロ組織の頂点へと登り詰めてしまったのか。その経歴と事件の連鎖を振り返ると、個人の誇大妄想が組織的な狂気へとエスカレートしていく過程が浮き彫りになります。

熊本県の視覚障害者学校を卒業後、上京した松本は東京都内で薬局や鍼灸院を営んでいましたが、1982年に無認可の医薬品販売で薬事法違反により逮捕。世俗的な成功の道を断たれた彼は、新興宗教やオカルト、ヨガ修行へと没入していきます。1984年に前身となる「オウム神仙の会」を立ち上げ、自らを「最終解脱者」と称して信徒を集め始めました。

教団の変質が決定的となったのは、1990年の第39回衆議院議員総選挙です。「真理党」を結成し、麻原自身を含む信徒25名が立候補したものの、全員が惨敗。巨額の資金を投じた世俗政治への進出が世間から冷笑と嘲笑をもって迎えられたことで、松本は「現代社会は悪業に満ちており、武力による救済(ポア)しか残されていない」という被害妄想的敵意を決定づけました。

その後、教団は猛毒ガス・サリンやVXガス、炭疽菌、自動小銃の密造に狂奔。1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件、1994年の松本サリン事件、そして1995年3月20日、強制捜査を阻止するために引き起こされた地下鉄サリン事件へと突き進みました。朝の通勤ラッシュを狙った無差別化学テロは、死者14名、負傷者6,000名以上という世界犯罪史上類を見ない惨劇を生み出しました。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。