平松投手の現在とカミソリシュートの伝説|通算201勝の軌跡と真実

平松投手の現在とカミソリシュートの伝説|通算201勝の軌跡と真実

話題沸騰中の 平松投手の現在とカミソリシュートの伝説|通算201勝の軌跡と真実について、詳しいまとめをご紹介しています。

平松投手の栄光の足跡の裏には、あまり広く語られていないドラマチックな葛藤と知られざる事実が存在します。

ドラフト指名時の波瀾と入団への裏側

1965年の第1回プロ野球ドラフト会議において、平松投手は中日ドラゴンズから2位指名を受けましたが、社会人野球の日本石油へ進むためこれを拒否しました。翌1966年の第2次ドラフトで大洋ホエールズから2位指名を受けた際も、当初は都市対抗野球での優勝を目指していたため入団を保留していました。しかし、球団関係者の熱心な説得と「都市対抗終了後の入団」という特例的な配慮を受け、1967年に晴れて大洋へ合流したという経緯があります。

過酷な登板と平松投手の引退理由

平松投手が1984年シーズンをもってユニフォームを脱いだ決定的な引退理由は、長年にわたるシュート投球の代償として蓄積した右肘・右肩の限界と、大目標であった200勝達成による精神的な区切りでした。

シュートという球種は、肘や手首に強い内旋の負荷がかかるため、当時の過酷な登板間隔(中2日や連投が当たり前だった昭和時代)と相まって平松投手の腕は満身創痍でした。引退会見や当時の手記において「右腕が思うように上がらなくなり、自分が納得できるカミソリシュートが投げられなくなった」と明かした通り、自らの代名詞である魔球のキレが失われたとき、大エースは未練を残さず潔くマウンドを降りる決断を下したのです。

山田 真由
著者

山田 真由

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