ネット上の情報や大衆文化では、カエサルの最期に関して劇的な物語が一人歩きしていますが、歴史学の検証によって判明している重要な盲点が2点存在します。
盲点1:史実のカエサルは最期に何を語ったのか?
古代ローマの伝記作家スエトニウス(Suetonius)が記した『皇帝伝』によると、同時代の人々の証言としてカエサルはブルトゥスに向かってギリシャ語で「Kai su, teknon?(カイ・ス・テクノン=我が子よ、お前もか)」と言ったという説を記録しています。しかし、スエトニウス自身は「カエサルは最初の一撃に呻き声を上げただけで、以後は一言も発せず、トガ(衣服)で頭部を覆って倒れた」という見解を支持しています。
また、ギリシャの歴史家プルタルコスも『対比列伝』において、カエサルは激しく抵抗していたものの、ブルトゥスが剣を抜いた姿を見るや否や抵抗を諦め、衣を被って身を任せたと記しています。つまり、「ラテン語でEt tu, Brute?と叫んだ」というのはシェイクスピアによる演劇的創作であり、史実のカエサルは言葉を失うほどの絶望の中で沈黙を選んだ可能性が極めて高いと結論づけられています。
盲点2:暗殺を決定づけた「真の腹心」デキムス・ブルトゥスの存在
カエサルを精神的に打ちのめしたマルクス・ブルトゥスとは別に、暗殺計画を実務的に成功させたデキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスの存在は見過ごされがちです。デキムスはガリア戦争以来カエサルの最前線で戦い抜いた生粋の戦友であり、カエサルの遺言状において「第二順位の相続人(養子候補)」に指定されるほど重用されていた最側近でした。このデキムスが当日、体調不良で出席を躊躇していたカエサルを元老院へ誘い出した首謀格の一人だったという二重の裏切りこそが、暗殺劇の最も冷酷な側面です。