待乳山聖天にまつわる「怖い」という言説を紐解くには、御本尊である大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん / 聖天様)のルーツを知る必要があります。聖天様は古代インド神話に登場するガネーシャ(歓喜自在天)に起源を持ち、仏教に取り入れられた際、十一面観音菩薩の慈悲によって悪神から仏法を守護する強力無比な善神へと転化された歴史を持ちます。
仏教民俗学の観点から見ても、聖天信仰は数ある仏教尊格の中で「もっとも現世利益の顕現が早い」とされる一方、もっとも厳格な礼拝が求められる対象です。ネット上で「怖い」と囁かれる主な理由は以下の3点に集約されます。
第一に、「現世利益の即効性と規模が桁違いである点」です。商売繁盛、病気平癒、夫婦和合、縁結びなど、切迫した願い事に対して劇的な変化をもたらす体験談が多いため、人知を超えた力に対して畏怖の念(オウム)を抱く人が少なくありません。
第二に、「不敬や誓い破りに対する戒め」です。聖天様は人間の愛欲や執着を否定せず、ありのままの願いを受け止めながら善道へ導く仏神ですが、その分「祈願して願いが叶ったにもかかわらず、感謝もせず放置する」「不浄な心で神域を汚す」といった不義理を嫌うと古くから伝えられています。これが俗説として誇張され、「祟りがある」という都市伝説へ変化しました。
第三に、「秘仏として決して公開されない神秘性」です。待乳山聖天の御本尊は完全な秘仏であり、住職ですら直接拝観することは叶いません。2体が抱き合う象頭双身の特異な尊容と相まって、人々の心理に底知れぬミステリアスな緊張感を与えているのです。