縮景園の成り立ちと歴史的背景を知ることは、散策の深みを何倍にも高めてくれます。この庭園は、単なる美しい景勝地であるだけでなく、戦国武将の気骨と広島の不屈の魂が刻まれた記念碑的な空間でもあります。
江戸時代初期の元和6年(1620年)、広島藩初代藩主となった浅野長晟(あさの ながあきら)が、別邸の庭園として築造を命じたのが始まりです。作庭を担当したのは、浅野家の筆頭家老であり、茶道「上田宗箇流」の開祖としても知られる高名な茶人・上田宗箇(うえだ そうこ)でした。
宗箇は、中国・杭州の名勝「西湖」の景観を模して縮小したことから「縮景園」と名付けたと伝えられています。武将茶人ならではの豪快な石組みと、計算し尽くされた繊細な水流の配置は、当時の大名庭園の最高峰と称えられました。
しかし、この歴史ある名勝は昭和20年(1945年)8月6日、人類史上初の原子爆弾投下によって壊滅的な被害を受けます。爆心地からわずか約1.3キロメートルの距離に位置していた縮景園は、爆風と熱線によって園内の樹木や歴史的建造物のほとんどが一瞬にして焼失しました。
被爆直後、ここは傷ついた多くの市民が水を求めて逃げ込んだ臨時救護所となり、園内で無念の死を遂げた無数の命が仮埋葬された悲劇の現場でもありました。戦後、園内に残ったわずかな樹木(被爆樹木である大イチョウやクロガネモチなど)の生命力に勇気づけられた関係者の手によって、昭和24年(1949年)から懸命な復旧事業が開始され、昭和26年(1951年)に再び一般公開を果たしました。現在見られる緑豊かな姿は、戦後復興を象徴する奇跡の情景なのです。