鳥羽・伏見の戦いを皮切りに始まった戊辰戦争の中で、新撰組の主要メンバーは過酷な運命に呑み込まれていきました。
■ 局長・近藤勇(享年35):斬首
多摩の農家出身から幕臣へと駆け上がった近藤勇の経歴は、幕末の身分変動を象徴しています。甲陽鎮撫隊の敗北後、下総流山(千葉県流山市)で新政府軍に投降。捕縛された近藤は身元が露見し、慶応4年(1868年)4月25日、板橋刑場にて斬首刑に処されました。胴体と首は別々に葬られ、波乱の生涯を閉じました。
■ 副長・土方歳三(享年35):銃弾による戦死
「鬼の副長」として組織の鉄の掟を敷いた土方歳三は、近藤の死後も徹底抗戦を貫きました。旧幕府軍と共に蝦夷地(北海道)へ渡り、箱館政権の陸軍奉行並に就任。明治2年(1869年)5月11日、箱館総攻撃のさなか、一本木関門付近で馬上から指揮を執っていたところを腹部に銃弾を受け戦死しました。その壮絶な最期は、幕臣としての矜持を貫いた武士の終焉として語り継がれています。
■ 一番隊組長・沖田総司(享年25前後):肺結核による病死
天才剣士として恐れられた一方で、普段は冗談好きで近所の子どもたちと無邪気に遊んでいたという沖田総司の人物像は、多くの記録に残されています。しかし若くして労咳(肺結核)を患い、戊辰戦争の本格化とともに前線を離脱。近藤勇の処刑から約2か月後の慶応4年(1868年)5月30日、江戸千駄ヶ谷の植木屋・平五郎宅の離れで、近藤の死を知らぬまま息を引き取りました。