娘が選んだオーストラリア移住という決断は、武田家にとって極めて大きな転換点でした。かつて武田鉄矢が語った回想によると、娘が海外へ飛び立った背景には、「武田鉄矢の娘」という色眼鏡で見られ続ける日本社会の窮屈さから逃れ、一人の人間として自分を試したいという強い意志があったと推察されます。
オーストラリアでの生活は娘にとって真の自立をもたらしました。現地でパートナーと巡り合い、やがて子どもが誕生。武田鉄矢にとっては待望の孫が誕生することになります。武田は後のインタビューで、オーストラリアにいる孫について「金髪で青い目をした孫が『グランパ』と呼んで駆け寄ってくる」と、相好を崩しながら語っています。
教育論や日本人論を滔々と語る論客としての武田鉄矢も、海の向こうにいる孫の前ではただの優しい祖父に過ぎません。オーストラリアを訪れた際には、砂浜で孫と一緒に遊んだり、言葉が通じないながらも身振り手振りで愛情を注いだりする姿が報じられており、昭和の頑固親父が見せる素朴な家庭人としての顔がそこにはありました。