日野町事件の真相と再審の行方|自白の矛盾と冤罪が叫ばれる決定的理由

日野町事件の真相と再審の行方|自白の矛盾と冤罪が叫ばれる決定的理由

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日野町事件の経緯を時系列で振り返ると、強引な捜査手法と長期にわたる裁判の歪みが浮き彫りになります。事件が発生したのは1984年(昭和59年)12月28日夜のことでした。滋賀県蒲生郡日野町で酒店を経営していた女性(当時69歳)が行方不明となり、翌1985年1月18日に町内の宅地造成地の山林で絞殺体となって発見されました。さらに同年4月には、現場から約16キロメートル離れた山林で、中身が荒らされた状態の手提げ金庫が見つかります。

初動捜査が難航する中、警察が標的としたのが店の常連客で借金を抱えていた阪原弘さんでした。事件発生から3年以上が経過した1988年3月、滋賀県警は阪原さんを強盗殺人容疑で別件逮捕。警察の密室取調べの中で阪原さんは一度自白調書に署名させられますが、起訴直後から一貫して犯行を全面否認し、公判では「警察官から暴行や脅迫を受け、家族に危害が及ぶと脅されて虚偽の自白を強いられた」と無実を強く訴え続けました。

しかし、1995年の大津地裁による無期懲役判決、その後の大阪高裁控訴棄却を経て、2000年に最高裁で無期懲役が確定。阪原さんは服役中の2001年に第1次再審請求を起こしたものの、審理半ばの2011年3月、無念の思いを抱えたまま広島刑務所で病死(享年75歳)しました。本人の死去に伴い第1次請求は終了しましたが、翌2012年、遺族(長男・弘次さんら)が意志を継ぎ、日本の司法史上でも極めて異例となる第2次再審請求(死後再審)を申し立てたのです。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。