あれほど激しく娘の旅立ちを阻もうとした孜氏でしたが、ひとたびデビューが決まると、その態度は不器用ながら深い愛情に満ちたものへと変化していきました。
1980年4月1日、『裸足の季節』で鮮烈なデビューを飾った松田聖子。福岡の地元レコード店関係者や当時の近隣住民からは、今も心温まる証言が残されています。孜氏は背広姿で近隣のレコード店へ足を運び、娘のシングル盤を自費で何十枚もまとめ買いしては、社会保険事務所の同僚や知人に頭を下げて手渡していたといいます。
また、自宅のリビングでは聖子が出演する歌番組を漏らさず録画し、几帳面にラベルを貼って保管していました。テレビの中で笑顔を振りまく娘の姿を、時に目を細め、時に心配そうに無言で見つめていた孜氏の姿は、母・一子さんの回想手記でも触れられています。「娘を誇らしく思う気持ち」と「過酷な競争社会に身を置かせてしまった父親としての悔恨」。その狭間で揺れ動きながらも、父は最前線で戦う娘を誰よりも強力に後押しする熱烈なファンの一人となっていました。
【プロの結論】昭和的家父長制とアイドルの自立|家族社会学から読み解く蒲池家の教訓
昭和50年代に起きた蒲池家のドラマは、単なるアイドルの美談にとどまらず、家族社会学や心理学の観点からも極めて示唆に富んでいます。当時の日本社会は、父親が家長として絶対的な決定権を持つ「家父長制」の残滓が色濃く残る時代でした。公務員という安定志向の象徴にいた孜氏が、娘の芸能界挑戦を真っ向から拒絶したのは、親としての危機管理本能として至極当然のリアクションといえます。
ここで特筆すべきは、蒲池家における「心理的バウンダリー(境界線)」の保たれ方です。後年の芸能界では、親が子どもの名声や経済力に依存し、マネジメントに介入して家庭崩壊を招く「ステージママ・ステージパパ問題」が頻発しました。しかし、孜氏は聖子がどれほど巨万の富を築こうとも、決して自らが前に出ようとはせず、最後まで久留米の地で公務員としての誇りを保ち続けました。
「反対するときは全身全霊で反対し、認めた後は矢面に立たず影から支える」。この節度ある距離感こそが、松田聖子という稀代の表現者が過酷なスキャンダルやバッシングに晒されても決して自己崩壊せず、精神的な自立を果たし得た最大の防波堤だったといえます。