清原勝児の高校生活を振り返る上で避けて通れないのが、いわゆる「留年」の経緯です。ネット上では様々な噂や心ない憶測が囁かれたこともありましたが、その内実は慶應義塾の極めて厳格な教育システムに起因しています。
慶応義塾高校は全国屈指の難関進学校であり、どれほど野球部で実績を残していても学業面での優遇措置は一切存在しません。中間・期末試験の成績や出席日数が進級基準にわずかでも満たなければ、例外なく原級留置(留年)の処分が下されます。勝児は高校1年次の学業成績が基準に届かず、学業不振による留年を経験することになりました。
さらに過酷だったのは、日本学生野球憲章および日本高等学校野球連盟(高野連)が定める出場資格の壁でした。高野連の規定では、公式戦に出場できるのは原則として「高校在籍3年目まで」と厳格に定められています。そのため、留年によって高校4年目を迎えた最終学年時、勝児には公式戦への出場資格が残されていませんでした。
実質的なラストイヤーにユニフォームを着てグラウンドに立つことが許されない状況に直面しながらも、彼は部を去る道を選びませんでした。裏方として後輩の打撃投手を務め、ベンチ外から声を張り上げてチームを支え続ける選択を下したのです。この逆境で腐らず、チームの勝利のために献身した経験こそが、勝児の人間的な芯をより一層強固にしたと周囲の関係者は口を揃えます。