勢という力士を語る上で絶対に外せないのが、土俵外で見せた多才なエンターテイナーとしての横顔と、温かなバックボーンです。
なかでも「プロ演歌歌手並み」と称えられた圧倒的な歌唱力は、大相撲界の歴史の中でも突出していました。巡業先で披露される相撲甚句はもちろん、テレビの特番や福祉大相撲で細川たかしや山本譲二の名曲を歌い上げた際には、共演した本職の演歌歌手たちが口を揃えて「プロとしてスカウトしたい」と絶賛したほどです。伸びやかな高音と豊かなビブラート、そして聴く者の心を打つ情感豊かな歌声は、相撲ファンのみならず一般の視聴者をも虜にしました。
この豊かな表現力と大らかな人間性を育んだのが、大阪府交野市にある実家の寿司屋「すし処 広春(ひろしゅん)」です。地元住民や相撲ファンに長く愛されている名店であり、幼少期からカウンター越しにお客さんと触れ合い、職人気質の父親の背中を見て育ったことが、勢の礼儀正しさとサービス精神の礎となりました。
2023年6月に両国国技館で執り行われた「勢翔太断髪式」では、約300名に及ぶ関係者や著名人が鋏を入れました。大銀杏に別れを告げた後、土俵上で感謝の思いを込めて自慢の美声を響かせた瞬間には、館内を埋め尽くしたファンから割れんばかりの拍手と涙が溢れ出しました。型にはまらない温かな人間的魅力こそが、引退後もファンを離さない最大の理由です。