武見敬三を語る上で避けて通れないのが、父・武見太郎という巨大な存在です。1957年から1982年までの四半世紀にわたり日本医師会会長の座に就き、厚生省(現・厚生労働省)の官僚や歴代首相と真っ向から渡り合ったその姿は、医療界のみならず戦後政治の語り草となっています。
武見太郎は、慶應義塾大学医学部を卒業後、理化学研究所で仁科芳雄に師事し、放射線医学や原子物理学の応用研究に従事した卓越した科学者でもありました。しかし、彼を一躍有名にしたのは、保険医総辞退闘争などを主導して医師の権益と医療の自立性を勝ち取った強烈な政治力でした。「ケンカ太郎」と恐れられ、時の厚生大臣を相手に一歩も引かず怒号を浴びせる姿は、当時のテレビ特番や新聞紙面を席巻しました。
武見敬三はかつてメディアのインタビューにおいて、「物心ついた頃から、父の書斎には政財界の重鎮や海外の学者が出入りしており、家庭内でも常に議論と緊張感が張り詰めていた」と述懐しています。父が築き上げた日本医師会の組織力と政治的影響力は、敬三が政治家を志すにあたり、強大な後ろ盾となったと同時に、生涯向き合い続けなければならない重い十字架ともなりました。