京本大我の芸能界入りのきっかけは、家族旅行で訪れたハワイの飲食店に飾られていた店主との記念写真でした。その写真を偶然目にしたジャニー喜多川氏が、父親である京本政樹に直接連絡を入れたことで運命の歯車が回り始めます。しかし、本人は芸能界に強い憧れを持っていたわけではなく、当初は好奇心半分でのスタートでした。
ジャニーズJr.としてのキャリアが本格化すると、彼の前に大きく立ちはだかったのが「二世タレントとしての葛藤」です。どんなにレッスンに励み、ステージで汗を流しても、周囲からは「どうせ親が京本政樹だから優遇されている」「コネでポジションをもらっている」という冷ややかな視線と陰口がつきまといました。思春期の大我にとって、そのレッテルは自らのアイデンティティを根底から否定されるような耐え難い苦痛でした。一時期はメディアやインタビューで父親の名前を出されることを極端に嫌い、番組アンケートでも家族に関する項目を白紙で提出していたほどです。
そんな彼の転機となったのが、2013年に上演された舞台『滝沢演舞城 2013』での親子共演でした。演出を手がけた滝沢秀明の計らいによって実現したこの舞台で、大我は父・政樹と同じ板の上に立ちました。稽古場では親子としての甘えは一切許されず、京本政樹は一人のベテラン役者として、大我に対して厳格な指導と圧倒的な芝居の熱量を見せつけました。
舞台袖から見る父の背中は、家庭で見せる優しい父親の顔ではなく、何十年ものあいだ第一線で修羅場をくぐり抜けてきた本物の表現者の姿でした。大我はこのとき、「自分は親の七光りを恥じるのではなく、この圧倒的なプロフェッショナルを超える実力を身につけなければならない」と心に誓ったと、後の取材で振り返っています。逃げることをやめ、正面から父の背中を追う覚悟を決めた瞬間でした。