元弘元年(1331年)、鎌倉幕府の専制政治を打破すべく挙兵した後醍醐天皇でしたが、幕府軍の反撃に遭い捕縛。翌・元弘2年(1332年)春、隠岐への配流という厳しい処分が下されました。その際、天皇の住まう仮の御所(行在所)として選ばれたのが、現在の島前・西ノ島町に位置する黒木御所跡です。
「黒木」という名称は、樹皮のついたままの丸太(黒木)を組んで急造された簡素な御殿に由来すると伝えられています。幕府の意図は天皇を絶海の孤島へ封じ込め、政治的影響力を完全に奪うことでした。しかし、波静かな内海に面し、背後を険しい山に囲まれたこの小高い丘は、監視に都合が良いと同時に、隠密裏に外部と気脈を通じる上でも絶妙な地理的条件を備えていました。
隠岐島内には、島後(隠岐の島町)の国分寺を行在所とする異説も存在しますが、西ノ島町の黒木御所跡は古文書『増鏡』や地元豪族に伝わる伝承との整合性が高く、島前地域における天皇滞在の最有力地として今日まで大切に守り継がれています。