音吉の壮絶な物語は、天保3年(1832年)10月に始まります。尾張国知多郡小野浦(現在の愛知県知多郡美浜町)を出航した千石船「宝順丸」は、江戸へ向かう途中の遠州灘で激しい暴風雨に遭遇しました。舵と帆柱を失った船は、漆黒の太平洋を漂流することとなります。
船内に積まれていた米と海水から作った塩、雨水で飢えをしのいだものの、長期にわたる漂流生活で壊血病が蔓延し、乗組員14名のうち11名が次々と命を落としました。約14か月後、現在の北米大陸ワシントン州フラッタリー岬付近に打ち上げられたとき、生きていたのは最年少の音吉(当時14歳)、岩吉、久吉のわずか3名でした。
現地先住民族のマカ族に救助された彼らは、英国のハドソン湾会社に引き渡され、カナダのバンクーバー砦を経由してロンドンへ渡ります。期せずして大西洋とインド洋を渡り、地球を一周する大航海へと巻き込まれていきました。