2005年10月、若松勉監督の勇退を受けてヤクルトの舵取りを託された古田敦也氏は、背番号「27」を背負ったまま監督へ就任しました。1977年に南海ホークスで指揮を執った野村克也氏以来、実に29年ぶりとなる捕手のプレイングマネージャー誕生に、球界のみならず一般メディアも大きく沸き立ちました。「代打、オレ」のフレーズは流行語大賞の候補になるなど、ファンの期待感は最高潮に達していました。
しかし、グラウンドの現実は過酷そのものでした。当時の手記や特番インタビューにおいて、本人は試合前の作戦ミーティング、対戦相手の膨大なデータ分析、投手陣との綿密な打ち合わせに追われ、自らの打撃練習やウォーミングアップの時間を確保することすら困難を極めていたと吐露しています。プレイヤーとしての肉体を極限まで研ぎ澄ます必要がありながら、ベンチでは全選手のコンディション、戦術采配、審判への抗議、さらには試合後のメディア対応に至るまで全方位の責任を一身に背負う日々が続きました。
就任1年目の2006年はチームを3位に押し上げたものの、古田選手自身の出場は36試合にとどまり、打率.274、10打数26安打、2本塁打と、前年までのレギュラー時と比較して出場機会は激減しました。翌2007年は自身の怪我やチームの投手力崩壊が重なり、球団として21年ぶりとなる最下位に転落。現場の孤独と葛藤の中で戦い抜いた末、2007年秋、わずか2年で監督辞任と現役引退を同時に発表することとなりました。