この難問の起源は1852年、ロンドン大学の学生だったフランシス・ガスリーが、イギリスの州地図を塗り分けている最中に気付いた素朴な疑問に遡ります。彼から相談を受けた数学者オーガスタス・ド・モルガンらを通じて学会へ広まり、瞬く間に数学 未解決難問 詳細まとめの筆頭格へと駆け上がりました。
歴史が大きく動いたのは1879年、弁護士で数学者でもあったアルフレッド・ケンペによる証明の発表でした。ケンペは「ケンペ鎖(Kempe chain)」と呼ばれる革新的な交代道の手法を考案し、学会から満場一致で称賛を受け、問題は解決したと信じられました。しかしその栄光は長くは続きませんでした。
発表から実に11年後の1890年、パーシー・ヒーウッドがケンペの証明の中に致命的な論理の穴(ケンペの誤り 経緯)を発見します。複数のケンペ鎖が交差する複雑な配置において、色の再割り振りが干渉し合って破綻するケースが見落とされていたのです。ヒーウッドはケンペの手法を修正することで「いかなる地図も5色あれば塗り分けられる」という五色定理の証明には成功したものの、4色への絞り込みは再び暗黒の迷宮へと逆戻りしました。