明治30年代、日本画界は紛れもなく混迷の中にあった。狩野派や土佐派が重んじた「線描」——輪郭線によって対象を切り取る伝統技法に、男は真っ向から異を唱えた。「空気や光そのものを描くことはできないのか」。その問いへの解こそが、ハケを用いて色をぼかし、輪郭を消し去る独自の技法「朦朧体(もうろうたい)」だった。
だが、当時の東京美術界の反応は冷酷を極めた。「勢いがない」「ぼやけて下手くそだ」「鵺(ぬえ)のような絵だ」。痛烈な批判が浴びせられ、作品は国内で全く売れなかった。世間に背を向けられた男は、海外へと渡る。ニューヨークやロンドンで高い評価を得て初めて、逆輸入のかたちで日本画の頂点へと上り詰めた。線を描かないという選択は、当時のアートシーンにおける命がけの博打だったのだ。