東尾理子という名前がスポーツ誌の枠を飛び越え、日本中の食卓で語られるようになった最大の転機は、自身の不妊治療体験の公表だった。当時、まだ芸能人が自らの治療プロセスや苦悩を詳細に公表することは極めて珍しく、世間のタブー視も強かった時代だ。
「TFC(TOKYO BABY CLUB)」の設立やブログを通じたリアルな体験談の発信は、同じ悩みを抱える無数の夫婦に救いをもたらした。自身の数値や感情の起伏までを隠さず開示するスタイルは、単なる芸能人の「告白」を超えて、社会的な啓発運動としての大きなうねりを生み出した。偏見や誤解の声に晒されながらも逃げずに発信を続けた姿は、日本のフェムテックや女性医療に対する意識改革の先駆けとして、今も高く評価されている。