悟りを開いた釈迦は、かつて共に修行した5人の仲間へ最初の説法(初転法輪)を行った。ここから初期仏教教団(サンガ)が急速に拡大していく。特筆すべきは、当時のインドを支配していた厳格なカースト制度を完全に否定し、出自や身分、さらには性別に関わらず門戸を開いた点だ。
近年の文献学や考古学的アプローチによって、釈迦の生涯と教団運営に関する知られざるディテールが鮮明になってきた。炭素年代測定や碑文解析の精度向上により、従来の年代観が見直されるとともに、釈迦が極めてプラグマティックなコミュニティ運営者だった事実が浮き彫りになっている。
教団内の規律(戒律)は単なる精神論ではなく、衛生管理、財産の共有ルール、地域社会との摩擦回避など、高度に計算された組織論だった。釈迦は80歳で食中毒とみられる重病に倒れ、クシナガラで入滅する最期まで「自らを灯火とし、法を灯火とせよ」と説き、盲従を徹底して戒めた。