藤本敏夫と赤軍派の真相|加藤登紀子との獄中結婚から現在まで

藤本敏夫と赤軍派の真相|加藤登紀子との獄中結婚から現在まで

今注目を集めている 藤本敏夫と赤軍派の真相|加藤登紀子との獄中結婚から現在までについて、詳しいまとめをご紹介しています。

1944年、兵庫県津名郡(現在の淡路市)に生まれた藤本敏夫氏は、同志社大学文学部に進学後、急速に社会変革の熱気に引き寄せられていきました。弁論部に所属し、卓越したアジテーション能力とカリスマ的な包容力を備えていた藤本氏は、瞬く間に学生活動家の頭角を現します。

1968年4月、彼は共産主義者同盟(ブント)を主軸とする全日本学生自治会総連合(全学連)の委員長に就任しました。同年10月の「10・21国際反戦デー闘争」では、新宿駅周辺を群衆が占拠した騒乱事件の先頭に立ち、防衛庁(当時・六本木)への突入を指揮。さらに翌1969年1月の東京大学安田講堂攻防戦の支援行動など、当時の社会を揺るがした主要な街頭闘争の現場には、常にヘルメット姿の藤本氏の姿がありました。

警察当局が彼を標的とした逮捕理由は、主に「凶器準備集合罪」「公務執行妨害」「建造物侵入」などでした。暴力革命を志向する過激な爆弾テロではなく、数百人から数千人の学生を動員して国家機関の敷地へ突入させた首謀者としての刑事責任が問われたのです。複数回の逮捕と勾留、そして保釈を繰り返しながらも、藤本氏は一貫して自らの信条を法廷で訴え続けました。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。