本並健治氏のフットボールキャリアを語る上で避けて通れないのが、Jリーグ開幕イヤーである1993年7月7日に発生した右腎臓破裂の重症事故です。博多の森球技場で行われたサントリーシリーズ第16節・サンフレッチェ広島戦の試合中、相手FWとペナルティエリア内で激しく衝突。ピッチに倒れ込んだ本並氏は激痛に襲われながらもゴールマウスを守り続けようとしましたが、容態が急変し救急搬送されました。
診断結果は右腎臓破裂。体内で大量出血を起こしており、出血性ショックによって一時は心停止の危機に直面するなど、医師団から「あと数十分処置が遅れていれば命がなかった」と告げられるほどの緊急事態でした。摘出手術ではなく温存治療が選択され、長期にわたる絶対安静と過酷なリハビリテーションを余儀なくされました。
「二度とピッチには戻れないのではないか」という周囲の懸念を跳ね返し、不屈のメンタリティでトレーニングを重ねた本並氏は、事故から約半年後の1994年シーズン開幕戦で見事に公式戦復帰を果たしました。この壮絶な生還劇は、当時のサッカーファンのみならず日本中を勇気づけ、ガンバ大阪の「絶対的守護神」としての地位を不動のものとしました。