「第二ボタンください」の意味と由来|今さら聞けない卒業式の真実

「第二ボタンください」の意味と由来|今さら聞けない卒業式の真実

話題沸騰中の 「第二ボタンください」の意味と由来|今さら聞けない卒業式の真実について、詳しいまとめを分かりやすく掲載しています。

第二ボタンにまつわる歴史を紐解くと、情緒的な青春劇とは対照的な、胸に迫る歴史的背景に行き当たります。ネット上でも議論が絶えないこの起源には、大きく分けて「戦時中の形見分け説」と「戦後の映画・文芸発祥説」のふたつが存在します。

最も広く知られているのが、太平洋戦争末期の日本海軍「海軍飛行予科練習生(予科練)」や特別攻撃隊に由来するという説です。出撃すれば二度と生きて帰ることのできない若き特攻隊員たちが、出撃前夜、愛する家族や恋人、婚約者に対して形見を残そうとしました。しかし、軍服の第一ボタンを外すことは「軍紀違反」として厳しく処罰の対象となります。そこで、首元の第一ボタンを残したまま、外しても襟元が崩れず、かつ命の象徴である心臓に一番近い第二ボタンをもぎ取って手渡したという手記や証言が、多くの戦時資料や特攻隊の遺品展示において語り継がれています。

一方、服飾史や大衆文化の調査研究においては、1950年代の映像カルチャーが決定打となったという見解が有力です。昭和29年(1954年)に公開された東宝映画『目白三平物語 うちの女房』において、卒業式を迎えた男子学生が、憧れの女性に第二ボタンをプレゼントするシーンが描かれました。映画のヒットとともに、当時の女学生や中高生の間で爆発的なブームとなり、やがて全国の学校行事に定着していったという経緯が、当時の新聞縮刷版や雑誌の服飾コラムでも確認されています。

命を賭した戦時下の切実な哀別が下地となり、それが平和な昭和の青春カルチャーと結びつくことで、卒業式という人生の旅立ちの日に「最も尊い想いを託す儀礼」へと昇華していったと考えられます。

佐藤 大輔
著者

佐藤 大輔

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。