清水東の歴史を振り返る際、絶対に外せないのが1980年代前半に打ち立てられた金字塔です。第61回清水東高校 サッカー 全国選手権(1982年度)を制覇し、準優勝3回、インターハイ優勝4回を数える実績は、日本サッカーの育成モデルそのものを築いたと言っても過言ではありません。
その黄金期の象徴が、後に日本代表で活躍しJリーグのトップ指揮官として名を馳せる清水東 長谷川健太、大榎克己、堀池巧の「清水東三羽烏」でした。彼らが体現したのは、ただ走るだけのスポ根ではなく、流れるようなパスワークと状況判断の速さに基づいた近代フットボールでした。さらに、日本サッカー界のガバナンスを牽引するJリーグチェアマンの野々村芳和や、日本代表の参謀として辣腕を振るった反町康治など、清水東高校サッカー部 歴代OBには「ピッチ上の戦術家」にとどまらず「日本サッカーの構造改革を担う知性」を備えた人物が驚くほど揃っています。
そして2000年代半ば、同校から世界へと羽ばたいたのが清水東サッカー 内田篤人です。彼が在籍した当時、チームは全国大会の頂点には届かなかったものの、内田が後の自著やインタビューで回顧している通り、「相手が何を嫌がっているのかを瞬時に見抜き、サイドバックからゲームをコントロールする戦術的基礎」は、まさに清水東の緻密な指導環境の中で育まれました。突出したスプリント能力に、進学校ならではの戦術理解力が掛け合わされたことで、シャルケでの欧州チャンピオンズリーグ・ベスト4進出やワールドカップ出場という金字塔へと結実したのです。