緒方貞子氏の歩みを語る上で、日本近代史を象徴するそのルーツと家庭環境は欠かせない要素です。1927(昭和2)年9月16日、東京府(現・東京都)に外交官・中村豊一氏と母・恒子(つねこ)の長女として生を受けました。
彼女の家系図を紐解くと、日本の政界・外交界を牽引した重鎮たちが名を連ねています。母方の曾祖父は、1932年の五・一五事件で「話せばわかる」の言葉を残し軍部の凶弾に倒れた第29代内閣総理大臣の犬養毅です。さらに祖父は外務大臣や駐ソ大使を歴任した外交官の芳澤謙吉氏であり、父も駐フィンランド公使などを務めた外交官でした。幼少期は父の赴任に伴い、アメリカや中国(広東・香港)を転々とする日々を送り、多文化が交錯する国際的な視野を自然と身につけていきました。
戦後、彼女は結婚によってさらなる政界の系譜と結ばれます。夫となった緒方四十郎(しじゅうろう)氏は、元朝日新聞主筆で副総理や内閣官房長官を務めた大物政治家・緒方竹虎の三男であり、日本銀行理事や日本開発銀行副総裁を歴任した国際金融のエキスパートでした。夫婦はお互いの知的探求と公的使命を尊重し合う、極めて自立したパートナーシップを築き上げました。
しかし、彼女自身は自らの出自を誇ることは一切ありませんでした。後年の手記において、五・一五事件で命を奪われた曾祖父・犬養毅の悲報に接した幼少期の衝撃を回顧し、「民主主義が暴力に屈したあの日の記憶が、政治と平和への探求の原点になった」と明かしています。権力や家柄の華やかさよりも、権力の暴走がもたらす悲劇の重さを肌で知っていたことこそが、彼女の冷静なリアリズムの根底にありました。