現在の阪急伊丹駅の近代的な姿の裏には、近代都市防災の歴史に刻まれる大きな試練と復興の軌跡があります。
1995年阪神・淡路大震災による駅舎倒壊と不屈の再建
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災において、高架構造であった阪急伊丹駅は1階部分が完全に押し潰される形で壊滅的な倒壊被害を受けました。当時、全国ニュースで繰り返し報じられた崩壊した駅舎の映像は、多くの人々に衝撃を与えました。
しかし、官民一体となった迅速な救済と仮設駅の設置を経て、1998年(平成10年)11月には現在の免震・耐震構造を極限まで高めた新駅ビル「Reita」が完成。この復興劇は、日本の鉄道高架橋の耐震基準見直しにおける重要な教訓となり、現在の強固な防災都市・伊丹の礎となっています。
幻となった「阪急伊丹線・空港延伸計画」の真相
鉄道ファンの間や都市開発の議論で度々話題にのぼるのが、「阪急伊丹線を塚口から伊丹、さらに伊丹空港へと延伸する構想」です。かつて高度経済成長期から昭和後期にかけて、空港アクセス改善を目的として伊丹駅から大阪国際空港方面へ路線を延伸する各種の検討が行われた歴史が存在します。
しかし、用地買収に伴う莫大なコスト、大阪モノレールの大阪空港乗り入れ実現、さらにはJR福知山線の複線電化とJR東西線の開通による競合路線の整備などにより、鉄路による延伸計画は実質的に凍結・収束を迎えました。その代替として現在の「高頻度かつ高精度な空港連絡バスネットワーク」が構築され、柔軟で効率的な輸送体系として定着しています。