南朝と北朝の皇統分裂は、鎌倉時代中期にまで遡る根深い対立に端を発しています。第88代後嵯峨天皇の後継をめぐり、兄の系統である「持明院統(じみょういんとう・後の北朝)」と、弟の系統である「大覚寺統(だいかくじとう・後の南朝)」が激しく争うようになりました。
鎌倉幕府の調停によって両統が交互に皇位を継ぐ「両統迭立」のルールが定められたものの、大覚寺統から即位した第96代後醍醐天皇は、この慣例を打破して自身の子孫へ皇位を一本化することを目指しました。後醍醐天皇は足利尊氏らと結んで鎌倉幕府を滅ぼし、「建武の新政」を開始します。
しかし、武家層の不満を背景に足利尊氏が離反すると、尊氏は京都で持明院統の光明天皇を擁立(北朝の成立)。後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ逃れて正統性を主張し、ここに1336年から56年間に及ぶ「南北朝時代」の激動が始まりました。