中国の故事であった「獺祭」が日本の近代史において決定的な意味を持つようになったのは、明治の文学改革者・正岡子規の存在があったからです。子規は自身の別号(ペンネーム)として「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」を名乗りました。
重い結核と脊椎カリエスに侵され、病床から一歩も動けない過酷な状況にありながら、子規は布団の周りに大量の俳書、辞書、新聞、随筆を散らかし、貪るように読書と執筆を続けました。その病室の様子はまさに、川岸に魚を並べるカワウソの姿そのものでした。自嘲とユーモアを込めつつ、子規はこの号を用いて旧態依然とした俳句・短歌の革新運動を牽引し、日本の近代文学に金字塔を打ち立てました。
正岡子規の手記や当時の随筆を検証すると、単に散らかっている状態を指したのではなく、「過去の膨大な蓄積を総動員し、古い常識を壊して全く新しい価値を創造する」という強烈な自負が込められていたことが分かります。「獺祭」という言葉は、文学史において「不屈の情熱」と「創造的破壊」のシンボルとなったのです。