アンタッチャブルが漫才を封印した本当の理由

アンタッチャブルが漫才を封印した本当の理由

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アンタッチャブルの歴史を振り返ると、そのキャリアは大きく三つのフェーズに分けられる。結成からM-1優勝までの「躍進期」、2009年の活動休止から2015年前後までの「空白期」、そして2016年以降の「再始動期」である。漫才をしなかった理由を語る上で、この空白期の実態を正確に理解することが不可欠だ。

彼らが世間に知られるきっかけとなったのは、2004年のM-1グランプリ優勝である。当時の漫才は「日常の違和感を大げさに増幅させる」スタイルで、山崎の変幻自在なボケと柴田の的確なツッコミが高く評価された。しかし、優勝後の彼らは漫才よりもコントやバラエティ番組への出演を優先するようになる。これは当時の芸能界の構造的な問題でもあった。漫才師としての評価よりも、テレビタレントとしての需要が急増したのである。

転機は2009年。柴田英嗣に週刊誌報道による不祥事が発覚し、コンビは活動休止に追い込まれる。この時期について、報道各社の取材に応じた関係者は「柴田さんの状況が落ち着くまで、山崎さんは一切のコンビ活動を止める決断をした」と証言している。ここで重要なのは、活動休止の理由が「不仲」ではなく「相方の更生を待つ」という判断だった点だ。山崎弘也は当時のインタビューで「相方が戻ってくるまで、自分はザキヤマとしてやるだけ」という趣旨の発言をしており、コンビへの強いこだわりをにじませていた。

では、なぜ復帰後も漫才をしなかったのか。その答えは、復帰のプロセスそのものにある。2015年頃から断続的にコンビでの活動が再開されるが、その多くはバラエティ番組での共演やイベント出演であり、漫才の舞台ではなかった。理由は単純で、ブランク期間に両者の芸風と立ち位置が大きく変化していたからだ。山崎は「ザキヤマ」としてのキャラクターを確立し、柴田は俳優業やピンでの活動で新たな評価を得ていた。漫才のフォーマットに戻ることが、必ずしも最善の選択肢ではなくなっていたのである。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。