柴田英嗣の経歴を振り返ると、1994年に山崎弘也とともにアンタッチャブルを結成。2000年代前半には「爆笑オンエアバトル」や「エンタの神様」で頭角を現し、2007年には「M-1グランプリ」で決勝進出を果たした。しかし、2010年代に入るとコンビでの活動が激減。柴田はピンでの活動を余儀なくされ、一時は「干された」「消えた」と囁かれた。
この空白期間について、柴田は2026年放送の特番インタビューで「当時は本当に仕事がなかった。相方(山崎)は忙しくて、自分だけ取り残される感覚があった」と率直に語っている。関係者によれば、この時期の柴田は事務所に足しげく通い、新たな仕事の開拓に奔走していたという。
しかし、この苦難の時期が後の復活につながる。柴田はピンでの営業やライブを重ねる中で、トーク力と進行力に磨きをかけた。ある芸人仲間は「あの時期、柴田さんはどんな小さな仕事も断らなかった。その積み重ねが今の信頼につながっている」と証言する。