安倍晋三氏の政治的イメージは「タカ派」「保守本流」として語られがちですが、父方の祖父・安倍寛の人物像を知る人は決して多くありません。実は、この安倍寛こそが、地元・山口県で今なお語り継がれる「真の反骨リベラリスト」でした。
太平洋戦争真っ只中の1942年、東條英機内閣の下で行われた「翼賛選挙」において、安倍寛は軍部の推薦を受けない「非推薦」の身分で立候補しました。特高警察の厳しい監視と選挙妨害を受けながらも、東條独裁政治の打倒と平和主義への回帰を堂々と訴え、見事に当選を果たしています。金権政治を激しく糾弾し、地元農民のために私財を投げ打ったその廉潔な生き様は「今太閤」ならぬ「大津聖人」と崇められました。
安倍派(清和政策研究会)の源流を祖父・岸信介に求める見方が一般的ですが、安倍家そのものの土着のルーツには、中央集権や軍国主義に対峙した寛の「孤高の気概」が存在します。晋三氏の政策的リアリズムと対米重視の姿勢は母方(岸)の影響が色濃い一方、地元支援者を惹きつけて離さなかった人情味や大衆的な魅力には、父方(寛・晋太郎)の血筋が強く息づいていたと地元古参関係者は口を揃えます。
また、安倍氏亡き後の自民党において、かつて所属議員100名近くを誇った最大派閥「安倍派」は、政治資金パーティー裏金問題の直撃を受けて解散へと追い込まれました。カリスマ的な領袖を失い、さらに派閥の物理的基盤まで消失したことで、かつて岸信介から安倍晋三へと連綿と継承されてきた「数の力とイデオロギーの結束」は、事実上の終焉を迎えました。現在、名門の残光は組織的な派閥政治ではなく、個々の選挙区における歴史的記憶へと分散しています。