難読地名としても全国的に名高い「池鯉鮒(ちりゅう)」。現代の行政地名は「知立」と表記されますが、なぜ文化会館の正式な愛称にはこの旧字体のような表記が採用されたのでしょうか。その謎を紐解く鍵は、池鯉鮒の歴史と知立神社の御神池にあります。
江戸時代、徳川家康によって整備された五街道の一つである東海道において、日本橋から数えて39番目の宿場町が「池鯉鮒宿」でした。歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』の「池鯉鮒 首夏馬市」に描かれている通り、当時の池鯉鮒は馬の市が盛大に開かれる活気あふれる宿場でした。
そもそも「ちりゅう」という地名の起源は、延喜式内社である古社・知立神社の御手洗池(みたらしいけ)に遡ります。かつてこの池には極めて多くの鯉や鮒が生息しており、神聖な魚として大切に保護されていました。その景況から「池に鯉や鮒が多い土地=池鯉鮒」という漢字が当てられ、音訓の慣用を経て「ちりゅう」と読まれるようになったという経緯があります。
知立市文化会館の建設にあたり、市民公募を経て「パティオ池鯉鮒」と命名された背景には、南欧風の開放的な中庭(パティオ)と、江戸情緒薫る歴史の宿場名(池鯉鮒)をクロスオーバーさせるという、過去と未来を架橋する文化的な意思が込められています。