安倍晴明(921〜1005年)の実像は、長年語り継がれてきた「白面の美青年」という記号的イメージとは大きく異なります。史実の彼は、50代を過ぎてから突如として頭角を現した、極めて粘り強い「遅咲きのエリート官僚」でした。
公式記録『日本紀略』や藤原実資の日記『小右記』、藤原道長自筆の『御堂関白記』に登場する晴明は、怪異の兆候があれば即座に召し出され、的確な解決策を提示する極めて優秀なテクノクラートです。当時、平均寿命が30〜40歳前後とされた平安貴族社会において、晴明は85歳という異例の長寿を全うしました。この圧倒的な生命力そのものが、当時の貴族たちに「死をも超越した人外の存在」として畏怖される心理的要因となりました。
古典文学『今昔物語集』には、晴明の神懸かり的な能力を示す象徴的な逸話が記されています。広沢の寛朝僧正の宿坊にて、貴族の若者たちから「式神を使って人を殺せるか」と挑発された際、晴明は「簡単には殺せないが、虫のような小動物なら容易い」と答え、草の葉を一枚摘んで呪文を唱え、池の蛙に向けて投げました。すると葉が蛙の上に落ちた瞬間、蛙は一瞬でぺしゃんこに潰れて圧死したと伝えられます。その冷酷なまでの即効性に、居並ぶ若公達は顔面蒼白となり震え上がったと記されています。
さらに注目すべきは、藤原道長との関係です。当時の最高権力者であった道長は、晴明の霊力を全面的に信頼しており、不吉な方角や凶事を避ける「物忌み」の判断をすべて晴明に委ねていました。晴明が発揮した「最強の能力」とは、単なるオカルトではなく、平安貴族の深層心理に巣食う死霊・怨霊への強迫観念を完全に手玉に取り、精神の安全保障を提供した統率力にあったと言えます。