歴史ファンならずとも気になる文室綿麻呂の読み方ですが、一般的には「ふんやのわたまろ」、あるいは古音で「ふむやのわたまろ」と読みます。教科書では坂上田村麻呂の陰に隠れがちですが、平安時代初期の政治・軍事史において欠かすことのできない最重要人物の一人です。
綿麻呂の出自を解き明かすうえで注目すべきは、その高貴な家系図にあります。文室氏は、第40代・天武天皇の皇子である長皇子(ながのおうじ)を祖先に持つ皇別氏族です。長皇子の息子である智努王(ちぬのおう/文室浄三)らが臣籍降下して「文室真人(ふんやのまひと)」の姓を賜ったのが始まりであり、綿麻呂は天武天皇の玄孫(4代後の子孫)にあたります。
武芸専門の下級貴族から叩き上げで立身出世した坂上田村麻呂とは対照的に、綿麻呂は生まれながらにして高貴な血統を持つエリート貴族でした。宝亀4年(773年)に生まれ、若くして近衛将監や内舎人など朝廷の中枢を守衛する官職を歴任。その卓越した軍事の才と知性を買われ、30代の若さで坂上田村麻呂の副官(征夷副将軍・征夷副使)に抜擢されるなど、輝かしい経歴の階段を駆け上がっていきました。