広尾病院の建て替えを巡る歴史は、行政判断の揺らぎと地域医療の利害関係が真正面から衝突したドラマそのものです。現在の本館病棟は1980年に竣工したもので、築40年以上が経過。耐震性能や設備配管の老朽化、狭隘化した診療スペースの抜本的改修は待ったなしの課題でした。
発端となったのは、舛添要一都知事時代(当時)に打ち出された「こどもの城」隣接地(旧都立青山病院跡地・港区南青山)への全面移転構想です。青山エリアに「首都災害医療センター(仮称)」を新設し、広尾病院の全機能をそこへ移すという壮大なプロジェクトでした。しかし、この構想が公表されるやいなや、地元である渋谷区医師会や近隣住民、渋谷区議会から猛烈な反対運動が巻き起こりました。当時の地元説明会や陳情の場では、「渋谷・恵比寿・白金エリアの救急医療に致命的な空白が生まれる」「高齢者が日常的に通える総合病院を奪わないでほしい」という悲痛な叫びが相次いだのです。
潮目が完全に変わったのは、2016年に小池百合子都知事が就任した直後のことでした。都政改革本部による大規模な事業見直しのメスが入り、青山移転にかかる用地取得費や巨額の建設整備費、さらには地域医療連携の分断リスクが徹底的に再検証されたのです。公の場での議論や関係部局の精査を経て、都は「現地再整備が最も合理的である」と判断。南青山移転構想は事実上の白紙撤回となり、現在の渋谷区恵比寿の敷地内において診療機能を一切止めることなく建て替えを進める方針へと舵が切られました。
さらに2022年7月、東京都病院経営本部が所管していた都立病院群は「地方独立行政法人 東京都立病院機構」へと改組・独法化されました。経営の柔軟性向上や医療人材確保の迅速化を掲げた独法化によって、広尾病院の建て替え事業もよりスピード感を持った調達と現実的な予算執行が求められるフェーズへと突入していったのです。