神山氏の名を一躍世に知らしめたのが、失われていた古代信楽の技法である「自然釉(しぜんゆう)」の復活と、自らの手で築いた「穴窯(あながま)」への挑戦です。
山中に築いた「寸越窯(すごえがま)」での窯焚きは、想像を絶する苦闘の連続でした。木灰が器に降りかかり、高温で熔けてガラス質の美しいビロード色や「緋色(スカーレット)」に発色する自然釉は、火の回り方一つで成否が決まります。幾度となく思い通りの焼き上がりにならず、作品はすべて粉々に割れる過酷な日々が続きました。
資金が底をつき、薪を買う金すらなくなった神山氏は、自宅の板壁や天井板を剥ぎ取り、子供たちの勉強机やタンスまで窯の燃料として火にくべたという伝説的な逸話が残っています。周囲から「狂気」と囁かれながらも炎の前に立ち続け、1975年、ついに息をのむような美しい自然釉の発色に成功。名実ともに信楽焼を代表する陶芸家として不動の評価を確立しました。