富士山本宮浅間大社がなぜ日本屈指の聖域として崇められるのか。その根源を探ると、単なるスピリチュアルな流行ではなく、古代から続く巨大な自然現象に対する「畏怖と調和の歴史」に突き当たります。
主祭神として祀られているのは、日本神話で随一の美しさを誇るとされる木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です。神話において、彼女は天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻となり、一夜の懐妊を疑われた際、貞操を証明するために自ら産屋に火を放ち、猛火の中で無事に皇子を出産したと伝えられます。この「火中で新しい命を育む猛烈な生命力」こそが、火を噴く富士山の怒りを鎮める神格として結びついた本質です。
歴史的な発祥を遡ると、第11代垂仁天皇の御代、富士山が大噴火を起こして国土が荒廃した際、第12代景行天皇が山足の地に神霊を祀ったことが信仰のはじまりとされています。その後、延暦25年(806年)、平城天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂によって、富士山の裾野から現在の大宮の地へ社殿が造営されました。まさに富士山本宮浅間大社の歴史と経緯は、荒ぶる活火山の噴火を鎮護し、国家の平穏を祈り続けてきた国家鎮護の歩みそのものです。
さらに特筆すべきは、現在の富士山頂・8合目以上の広大なエリアが国有地ではなく、富士山本宮浅間大社 奥宮の境内地であるという事実です。これは慶長9年(1604年)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、祈願成就の御礼として本殿・拝殿を寄進したとともに、8合目以上を同社に寄進したことに端を発します。山頂に奥宮を構え、山麓に本宮を据えるこの巨大な空間構造が、富士山全体の霊的分流の総元締めとしての地位を確立させている決定打です。