インターネット上やSNSで「マザー・テレサの遺した珠玉の言葉」として最も広くシェアされているテキストの一つが、以下の文章です。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」
このマザーテレサ名言思考に気をつけなさいとして人口に膾炙したフレーズですが、マザーテレサ名言偽物の真相を追究していくと、驚くべき歴史的混同の構図が浮かび上がってきます。バチカンの列聖調査資料、彼女が設立した神の愛の宣教者会の公式文書、さらには自筆の手紙や祈祷文を網羅した評伝資料をいくら精査しても、彼女自身がこの言葉を自発的に語った、あるいは記したという客観的証拠は一切確認できません。
英語圏の引用文献研究者やファクトチェック機関の調査によると、この格言の原型は19世紀から20世紀初頭にかけての欧米の倫理教育やキリスト教説教の中で語られていた格言、あるいはユダヤの諺、東洋の老子の思想を翻訳・再解釈したものとされています。特に有力な記録としては、アメリカの著述家フランク・アウトロー(Frank Outlaw)の言葉とされるものや、英国の元首相マーガレット・サッチャーが「父から教わった言葉」として映画でも引用されたフレーズが挙げられます。
では、なぜこれがマザー・テレサの言葉として日本で定着したのでしょうか。出版関係者の証言や当時の流通経路を辿ると、マザー・テレサが設立した施設の壁や、彼女のメッセージカードに誰かがこの格言を書き留めていたものが、いつの間にか「彼女自身の言葉」として日本の翻訳書や講演会で誤認・紹介されたのが発端であることが判明しています。
もちろん、言葉の内容自体は人間の認知と行動の連鎖を突いた見事な洞察です。しかし、厳密なジャーナリズムの観点から言えば、これは彼女自身の思想から生まれたものではなく、「マザー・テレサが言ったと信じ込ませることで説得力を借りたアトリビューション・エラー(帰属の誤謬)」と断定せざるを得ません。真実の彼女の肉声は、このような計算された心理学的ステップ論ではなく、もっと泥臭く、直截的な祈りの言葉に満ちていました。